ホヤと日本酒に合う音楽5選

兄が、お世話になっている人にいただいたので、今日は初めてホヤをつまみに食べた。これもお世話になっている人からいただいた辛口の日本酒を紙コップに、指先でつまむホヤは美味しかった。味は牡蠣に似ているし、食感はホタテに似ている。幸い、実物を知ったのは食べた後だったので、見た目の微妙さにドン引きすることもなく、ホヤは無事わたしのなかで「美味しいもの」カテゴリーに収まった。

でも、いつもいつも一緒に食べる・飲む人がいるとは限らないので、いつかあるだろう一人飲み用に、ホヤと日本酒に合いそうな音楽を今から考えておくことにした。

泣くかもしれない/下田逸郎

泣くかもしれない

泣くかもしれない

ホヤの味は結構濃いので、曲はこのぐらいスロウで優しいのもいいかもしれない。ソファにもたれ、ぼんやりと1日を振り返りながら、ときには昔に失った人を思いながら、酒とホヤ。

Help me out / maroon5

ヘルプ・ミー・アウト

ヘルプ・ミー・アウト

日本酒とチーズ、ワインとするめ的な感じで、ホヤとmaroon 5。ありだと思う。ホヤの隣に、燻製チーズなんかを添えてもいいかもしれない。お洒落な食卓でも食べられる組み合わせ。夜は早いうちの方が似合う、8〜9時ぐらい。

そのまま/松任谷由美

そのまま

そのまま

「あなたの好きなものはひとつ残らず言えるわ」と口ずさみながら、ホヤ。

深夜高速/フラワーカンパニーズ

深夜高速

深夜高速

お洒落系統から一点、泥臭く進む曲とホヤ。がんばり疲れたときには、日本酒の突き抜ける辛みとホヤの濃い味に泣いてしまうかもしれない。

crazy/DOPING PANDA

Crazy

Crazy

ホヤを食べて明日も頑張りたい時に。ポップで洒脱だけどお洒落すぎないのでホヤに合う。


こうしてみると、ほぼただの私の好みだった。

いつだって聴ける音楽

2ヶ月くらい前、CDを買った。業者を通して買ったので、リリースから手元に届くまでかなり時間がかかった。『in a dream』。バイ、トロイ・シヴァン。

恋の幸福はどこへやら、なんとなく寂しさや孤独を感じるアルバムだった。なんとか走ってきた人が、ふと足を止めて後ろを振り返るような。

Put my shoes on and run away
But you still show up in a dream
『in a dream』

IN A DREAM

IN A DREAM

  • トロイ・シヴァン
  • ポップ
  • ¥255

僕は靴を履いて逃げ出す
でも君はまだ夢に現れるんだ

What's left of the dance?
The smell on my hands
The rock in my throat, a hair on my coat
The stranger at home, my darling
『Easy』

ダンスが
残したものはなんだっけ
僕の手に残った匂い
僕の喉の中の石、コートについた髪の毛
家にいる知らない人、ダーリン


Easy

Easy

  • トロイ・シヴァン
  • ポップ
  • ¥407



troyeの曲はいつも特別だ。彼独特の言い回しで、等身大の心を描く。それって簡単なことじゃない。彼の曲は気取らないから朝でも夜でも聴ける。

So kiss on the mouse and set me free,
But please don't bite
『bite』

唇にキスして、そして僕を自由にして
でもどうか、噛まないで

BITE

BITE

  • トロイ・シヴァン
  • ポップ
  • ¥153

大森靖子は神様だった

大森靖子は神様だった。

息をするのも苦しかった高校時代、いつも大森靖子を聴きながら坂を登っていた。「死神」「VOID」「きもいかわ」「流星ヘブン」「マジックミラー」「君に届くな」...

「新作とかもうでなきゃいいのに 変わらない私が 古くなっていくみたい」
「笑わなくっても余裕で天使さ」
「見た目とか体裁とかどうでもいいっていって抱きしめてよ」
「助けて っつって誰もこなくても平気さ ぼくはぼくを守るもの」

親と折り合いの悪くなったわたしは、許容に飢えていて、すがれる何かを探していて、だからわたしたちをまとめて抱きしめてくれる靖子ちゃんの曲は光にも等しかった。たぶん同じような女の子はたくさんいたと思う。私だけの私を、わたしだけの可愛いを、わたしだけの生を肯定したくて、イヤホンの内側に閉じこもるようにして聴いた歌の数々。

だからZOCができた時も嬉しかった。いっそう新しいなにかが生まれるのだと思った。Family Nameは飽きるほどに聴いた。嘘だ。聴いても聴いても飽きなかった。かてぃちゃんの全身の力を振り絞るような「クッソ生きてやる」に涙がこぼれた。靖子ちゃんの音楽が変わらずそこにあった。

でもだんだん何かがおかしくなった。

family nameができる前。フィンちゃんがいなくなった。SNSで悪し様に罵るメンバーの姿にほんの少し怖くなった。フィンちゃんの孤独は孤立するのかと思った。

さやぴが辞めた。正直かばいようはないと思っている。

かなのちゃんが辞めた。靖子ちゃんのブログと、公式のお知らせに思わず顔をしかめた。かなのちゃんは「卒業」だった。それなら、裏側なんて、匂わせるべきではなかった。大森靖子という一人のアーティストと、アイドルはまったくあり方が違うのだ。アイドルは夢を与える人たちで、裏で何を思っていても、どんなに揉めていても、表には笑顔を見せるものなんじゃないか。

靖子ちゃんはTwitterをおやすみしている。Twitterはまだまだ荒れている。かなのちゃんにはストーリーの画像をもとに薬物の疑惑までかかりはじめて、西井は真偽もわからない不倫疑惑をリークされて、混沌と化している。

靖子ちゃんはファンに愛を与えてくれる人だと思っていた。その両腕で大きなものを抱きしめてくれる人だと思っていた。いつのまにか、その腕の中にはZOCしかいなくなったのかもしれない、とおもいはじめている。


たぶん神様は死んだ。

あとは夢を見るだけ

今日は1日うつらうつらしていた。どうも腹と胃の調子が悪く、自分を労ることにだけは長けているわたしなので。

今日は疲れたし、チョイと早目に
電気を消してほら今フェードアウト
目をつぶってwas good dayならあとは見るだけええ夢

罰当の『was good day』から。

was good day(Remix)

was good day(Remix)

  • 罰当
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥255


今日は真実なにもしていない。寝て、起きて、食べて、腹をさすりながらネットの波に乗って、寝て、おろしハンバーグを食べた。夜ご飯のあとには2杯分のアルコールを入れたのでいい具合に気分もいい。余談だが、アルコールパッチテストを試したところ、かけらも色が変わらなくて、今まで酒のせいにしてきた全てが自分のせいだということがわかってしまって凹んだ。閑話休題

最近、うまくやれないことが増えてきた。それも、仕方ない、と思っている。仕方ないでは何も買われないのかもしれないけれど、社会に出る前に、わたしはわたしに優しくする方法を覚えたい。

しかたない、と去っていく単位を見送って、洋裁を始めてみたりしている。

ミシンを誤って捨てられてしまったようなので、手縫いで始めた。中高で仕込まれたおかげで、裁縫はけっこう得意な方だ。

心が動いたものに手を伸ばすこと、が、弱った胸の内への1番の治療法であると思う。
余談だが、こころという言葉がすこし苦手だ。使うけれども、なんとなく、胡散臭くて。

亡骸を愛する話、「ELLEGARDEN」

気がつけば人に伝える言葉ばかり考えている。来月誕生日を迎える友人へのメッセージ、溜まっているLINEの返信。そんなものがくるくるくるくる脳内をかけめぐって何処かへ行ってくれない。暇さえあればくるくるくる。

多分世界と繋がりたいのだ。世界とつながる手筈をいつも考える。けれどどうにも人と接するには心の強度が足りなくて、最後には読書に行き着く。

 

本はいつも私のシェルターだった。強制的に今いる世界から切り離してくれるもの。ファンタジーが特に好きだ。決して行けないとわかってるから、触れられないから好きだ。

触れられないというのは諦めがつくことと同義で、決して手が届かないとわかっているから安心して眺められる。本もそうだし、もう活動休止したバンドもそう。時が止まっているものに一方的に関わることが好きだ。

ELLEGARDENは私にとってそういうバンドだった。息を吹き返さないもの。音楽を抱えて時を止めた死体だった。更新されないYouTube。リリースされないCD。だから安心して愛することができた。

そうしてずっと愛していたから、生き返った今もおずおずと愛せる。

 

結局、反応が怖いのだ。愛を拒絶されること。愛するものに愛されないこと。分不相応だと笑われること。だから友人が怖い、死体を愛する。

 

生者の抱くものに永遠はない。永遠の愛も永遠の友情もない。不変でないものなど要らないのだ。いつかは失われるものに意味などない。人は変わっていく。諸行無常。色は匂へど花は散る。本もCDも朽ちていく。わかっている。わかっていてなお、変わらないものを探している。亡骸を抱えている。

「ヤングアダルト」、リストカットの話

夜を越えるための唄が死なないように
手首からもう涙が流れないように

マカロニえんぴつ「ヤングアダルト

一度だけ手首を切った。

たしか親と言い争った日だった。たぶん高校生か中学の終わりで、中学一年性の希死念慮に囚われていたときのことを「頭がおかしかったとき」と称されて、どんなに言葉を尽くしても理解されない過去の絶望に震えが止まらなくなった。自分の部屋に駆け込んでも、手も足も小刻みに震え続けていて、追い詰められてカッターを手に取った。なんとかして、手足の感覚を取り戻したかった。自分の意識とは裏腹に震える四肢が怖くてたまらなかった。

刃のあとを追うように線が生まれて、ゆっくりと滲む赤にようやくほっとした。ゆっくりと震えはおさまった。大丈夫だ、と思った。わたしは生きている。わたしは誰よりも自分が生きていることが許せなくて、同時に誰よりも許したかった。

涙を流すのは、誰かに気づいてもらいたいからだと思っている。手首から流れる涙はSOSだ。気づいて欲しい。助けて欲しい。すくわれたかった。

母が手首の涙の跡に気づくことはなかった。

「踊ってばかりの国」、好奇心がとどまるところを知らない話

踊ってばかりの国は、サイケデリックロックンロールに分類されるらしいと知ったのは昨日のことだ。

サイケデリック・ロックは、1960年代後半に発生し流行したロック音楽の派生ジャンル。主に、LSDなどのドラッグによる幻覚を、ロックとして再現した音楽のことを指す。 ウィキペディア

なるほど、彼等の曲の持つ妙な陶酔感はそういうわけかと腑に落ちた。どこかノスタルジックでしかしユートピアを感じさせる音楽は、昨年出会ったお気に入りである。

にしても、ドラッグ。ドラッグに興味がないわけではない。けれど法律を犯すつもりもない。どうしても興味に耐えきれなくなったらオランダのコーヒーショップにでも行こうと思っている。国が変われば、善悪の線引きが変わるのだから不思議な話だと思う。

好奇心とか興味とかいう代物には昔から手を焼いていて、小学生の時の塩酸を舐めてみたい衝動だとか、髪の毛は燃えるのかの実験だとか、よくもまぁこの年まで何事もなく生きてこられたものだと思う。幸い大きな怪我もなく、あえていうなら計3本骨を折ったぐらいで。

この好奇心というものは、危険の導火線であると同時にわたしの知識欲の根本にもなっていてどうにも手放せない。手放したいと思ってお別れできるものでもないのだけれど。

ここのところのその好奇心の向かう先は冒頭のバンドである。踊ってばかりの国。このブログのタイトルのもじり元だ。
彼等は往々にしてバンドがそうであるようにメンバーの脱退と加入を繰り返していて、初期のメンバーと今のメンバーがそっくり違うらしい。初期の踊ってばかりの国と今の踊ってばかりの国は、果たして同じバンドと言い得るのだろうか。

細かいことは置いておいて、お気に入りの曲がある。いくつもある。「青いピアス」はその1つだ。ボーカル曰く、パートナーさんへのラブソングだという。
優しくふたりの思い出をなぞっていく歌詞が穏やかで、優しい。

夜は酒を飲んで レコード回して
君は僕に 夜の越え方授けてくれた

春の夜はまだ長くて、ひとりではどうにも越えがたいから、踊ってばかりの国を聴いている。


青いピアス

青いピアス