「つむじ風、ここにあります」、悼む権利の話

いくつもの手で撫でられて少年はようやく父の死を理解する

めずらしい友人からインスタのDMを受け取った。わたしは受験勉強にひと段落つけて、ゲームに興じていたところだった。その頃もうほとんど大学には行っていなくて、ほんの数人とごくまれにLINEのやりとりをしているだけだった。

DMは、大学での友人の死を告げるものだった。人は悲しみよりも前に衝撃で涙を流すのだと知った。

泣きながら、私に泣く権利はあるのだろうか、とぼんやりと考えた。亡くなった友人、最後に彼女に会ったのは、もう4ヶ月も前だった。友達というよりクラスメートと称した方が正しいかもしれなかった。クラスでの、違うグループに所属する知り合いのような、曖昧な距離感だったから。

理解も処理もできないままに、母に、お葬式って何を着ていけばいいんだろう、と尋ねていた。

からっぽの病室 君はここにいた まぶしいぐらいここにいたのに

葬儀へと向かう長い電車の中で、Google Photoを遡っていた。笑顔の可愛らしい、愛嬌のある人だった。こういう女の子はきっと人に好かれるんだろうと羨ましく思ったことがある。授業でペアを組むことになれば、少し高い声でにこにこと話しかけてくれる人だった。

母が死ぬ前からあった星だけど母だと思うことにしました

額縁に囲われた遺影を目にして、きっとそこで初めてわたしは彼女の死を理解した。泣く権利など考えるまでもなく、パンツスーツの膝は濡れていた。死は「かなしい」のだと気づいた。悼むことは、能動的な行為ではなく、あくまで自然と沸き起こるものだった。わたしは彼女の死がひどくかなしかった。

かなしみはいたるところに落ちていて歩けば泣いてしまう日もある

ドラマで病室に眠る人をみたとき、何気なくスクロールしたカメラロールに笑顔があったとき、LINEの友だち一覧を辿るとき、せりあがる塊を呑み下す。瞑目して、いっとき、想いを馳せる。

あなたにとって、わたしは友だちだっただろうか。わからないけれど、わたしはあなたの死が受け止め難く、かなしい。

どうか、

あの世から見える桜がどの桜より美しくありますように


引用元、すべて木下龍也『つむじ風、ここにあります』

つむじ風、ここにあります (新鋭短歌シリーズ1)

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  • 作者:木下龍也
  • 発売日: 2013/05/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)