愛することの話、「ナラタージュ」

話を聞き終えた彼は、そうかあ、となんだか一仕事終えた後のような表情を浮かべた。
「そんなふうに誰かを深く愛したことがあるなんて、俺には経験がないからうらやましいよ」
「愛していたとか、そんな大袈裟なものじゃないです。最初に会ったときなんか高校生だったし、まだ子供だったからよけいに、この人しかいないっていう思い込みが強かったんですよ」
「そうかな。年齢に関係なく愛したりはすると思うけど。工藤さん、きっとそれ、子供だったから愛とは違うとかじゃなくて、子供だったから、愛してるってことに気付かなかったんだよ」
島本理生ナラタージュ

ナラタージュでいっとう好きなシーンは映画ではカットされてしまった。残念ながら。

子どもだからわからない、という言葉が嫌いなのは、わたしが子どもだからなのだろうか。ティーンを通り抜ける寸前の今、少なくとも、大人たちよりはよく知っている。子どものころ、あんなにも感情は色濃く鮮やかだったということを。余計なものが混らないぶんきっと純度が高かった。薄く真新しいせいで指先を傷つける頁のように、わたしたちは鋭くしなやかに瞬間を生きていた。

愛することに向いた年齢というのはないと思っている。小学生の頃強く家族を愛し、中学生の頃切実に自分を愛し、高校生の頃すがるように友人を愛し、大学生のいま時に間違った人を愛して傷ついている。七つの少女がじょうずに好きなひとを愛することもあるし、七十の男性が知恵深く伴侶を愛することもある。だから面白いのだ。

感情には成熟があるけれど、優劣はない。幼いからといって愛せないわけじゃない。そうして後で振り返ってその感情に名前をつけるのだ。

慌ただしく通り過ぎた瞬間をたまに振り返って、いくつかに愛と名付ける営みを愛しく思う。

ナラタージュ (角川文庫)

ナラタージュ (角川文庫)