荻原規子さんの描く恋の話

昨日からオンラインで授業が始まった。何かが始まる時の、なんとも言えぬ高揚と緊張はいつまでたっても苦手だし慣れない。隣の部屋からボサノヴァと「こころ」の音読が聞こえてくるのどかな日曜日は腹痛と共に幕を下ろして、ここ2日ははあんまり寝られなかった。

眠れない夜は特に、恋がしたいな、と思う。「日曜日の夜はベッドが広い」と歌ったのはEXILEのSomedayだったか、ひとり寝というのは別れた恋人がいてもいなくても少々寂しいものだ。

恋をするという楽しみを教わったのは本からで、そもそもなにもかも、言葉も心もなにもかもを本に習っているのだけれど(そのせいでいくつかの日本語のアクセントが可笑しい、本は発音までは教えてくれない)、その中でも特に荻原規子さんの小説が好きだった。「これは王国の鍵」「空色勾玉」「RDG」「セラフィールドの少女」小学2、3年生のころ夢中になって読みあさり、それからずっと本棚に揃えている。

荻原規子さんの小説の中で、彼女らはけっして恋を求めに行くわけじゃない。ただ必死に駆け抜けて、その途中でふと抱える気持ちに気づく。ボーイミーツガーツならぬ「ガールミーツボーイ」的なその作風がとても好きだ。目的としての恋ではなく、人に向ける気持ちの変化の先に恋があるのだと幼いわたしは胸を高鳴らせたものだった。

昔の方が、ずっと上手に人を好きになっていた気がする。