女子校は良かったと言う話

「もしかして女子校出身?やっぱり!だと思った!」

この台詞にはいつもひっかかってしまう。女子校っぽさとは、なんだろう。

わたしは中高一貫の女子校に通っていた。恋やら愛やらを巡っておこるいざこざもスクールカーストも嫌いで、選んで女子校に行った。

中高は地獄だったけれど、それは女子校であることにはまったく関係がなかったし、女子校で過ごす、というシチュエーションに関してはとても楽しかったと胸を張って言える。性別を理由にリーダーをつとめられないなんてことはなかったし、性別による不平等なんてあるはずもなく、文化祭の時にはみんなで疲れ切った顔をしながら階下や階上へ机や椅子を運んだ。女だからできないなんてことはひとつもなかったし、わたしたちはただの人間として交流をしていた。

ある教師が、「あなたたちは、今後社会に出て、不平等に愕然とするかもしれない」と少し笑っていった。そのときのわたしは世間知らずと馬鹿にされたかのように感じ、勝手に拗ねていた。けれど、確かにそのときわたしは世間知らずだった。

大学で、これほどまでに「男」「女」が強調されるのかと言葉を失った。一女は可愛がられ二女は飲まされる。女が前に出て仕切ると「きつい」「こわい」と陰口を叩く。中高ではまったくなかった世界だった。

中高の友人がたまに言う。「わたしは高校の時の方が人間として生きられた気がする」

女子校っぽさが、「男」「女」の世界に迎合できないことであるなら、わたしはもうそのままでもいいと思っている。そもそも性別は「男」「女」だけではない。

とはいえ、「女子校っぽい」と嫌な文脈で使われると、わたしはこっそり「発情期の動物っぽい」とこころのなかで言い返すことにしている。