赤飯、百五円のナプキン

初経を迎えると赤飯を炊く慣習があった、らしい。

経験したことない理由は二つ、母が昔祖母に赤飯を炊かれ酷く惨めだったらしいことと、私が初経を母に伝えることなく済ませたからだった。

この二つには根底に共通点がある。母の性に対する忌避である。
二人も子どもをもうけたとは思えないほど、彼女は性的なことを受け入れない。特に、娘が女になることは受け入れ難かったらしい。

生理がくるまで、母から施された性教育はひとつもなかった。幸いわたしは真面目に、真面目に保健体育を受ける小学生だったので、ナプキンの付け方も捨て方も教科書で覚えた。初めての生理のときには、少し家から遠いコープまで足を伸ばして、隣の百均でナプキンを買った。

ネイビーのミニスカートをひらめかせる娘に、「水商売の女みたい」だと言葉を投げつけた彼女が、女になった娘をなんとか受け入れられたのは3年ほどたってからだった。受け入れてはない、慣れた、のかもしれない。
高一のときには、処女だった娘に「なにしててもいいけど、避妊だけはしなよ」と刺々しい口調で吐き捨てた。呆れた、子どもみたいな真似をする、と、20歳になった娘は思っている。