アイドル、偶像

ここ最近、自分の中で、アイドルを整理し再定義する作業をしていた。思春期からこちらKPOPを追っている。

アイドルはしばしばSNSで非難の的となる。私の覚えているところの最近では、コロナ禍でクラブに行っただとか、友人とのLINEが流出しただとか。恋人が匂わせをした、メンバーの陰口を言っている裏垢が見つかった。
目にするたびに、1度深呼吸をしてから自分に問う。わたしが責めるべきこと?

思春期のファンは、仕方がないとは思う。思春期、好きなアイドルに理想の異性・同性としての姿を見つけ出すのはままあることで、人格の形成途中に、見つけた理想像に気持ちが過熱してしまうのはままあることだ。

けれど、わたしはもう大人の枠に入るのでそうは言っていられない。

そうして考えてみれば、いつからか、わたしにとってのアイドルは徐々に変容していた。それは経た年のおかげかもしれないし、好きなアイドルが少年期を通り過ぎたからなのかもしれない。今、アイドルとはわたしにとってアーティストの1種類であり、歌声とダンス、表情などすべてを用いてパフォーマンスを行う表現者だ。なんらかの醜聞が出たら、寂しくは思うだろうけれど、それだけ。その人の行いに耐えきれなかったらファンでいることをやめるだろう。それだけだ。

理想を投影して、それが為されなかったことに傷つくのは、ファンのエゴなんだろう。

そしてひとつの面で責められるべき行いをしたからと言って、その人の美徳がすべて帳消しにされるわけじゃない。
わたしはフェミニストだけれど、男尊女卑的な発言をするところを除いて母を愛しているし、たまに陰謀論に傾こうとするところを除いて父を愛している。目の前で吸うことのないタバコに執拗に文句を言ってくるところを除いて、兄を愛している。

人は完璧である必要なんてない。アイドルも然りだ。原爆Tシャツを着ていたことに悲しく思っても、好きなままでいい。ひとつの醜聞があっても、反省を信じていい。ひとつの裏が見えたとしても、好きだったアイドルのすべてが嘘になったわけではない。

勝手に信じて裏切られた失望を、アイドルに手渡したい気持ちは、ひどくよくわかる。けれど、その手はそっとおろしたほうがいい。誰もわたしの理想にはなれない。誰もあなたの理想にはなれない。相手は人間だから。



昔のSeventeenの動画を観る。今よりも華奢で、変わらず溌剌とした少年たち。あのときはあんなにもかっこいい年上に見えたのに、今観るとその肩はいやに頼りなくて、わたしはいったい彼らになにを求めたのだろうと、彼らからなにを奪ったのだろうと、そう考えた。

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

Pretty U

Pretty U