僕の悲しみ方、あの子の悲しみ方

幼い頃、たびたび些細な悪いことをした。そんなとき、母は決まって押し入れを指差して言った。「鬼が出るよ」
和室もあった幼い頃の家は、押し入れもクローゼットではない昔ながらの引き戸で、怒り心頭の母に入れられたこともあった。閉じ込められたわけではなかったけれど、わたしはじっと膝を抱えて母が呼びにくるまでけっして出ることはなかった。「押し入れには鬼がでる」これは幼いわたしの世界の常識だったので、息を潜めていなければ見つかってしまうと思った。

特定の宗教を信仰しているわけではない、けれど幼い頃に培われた「神様」は消えない。お墓に参ればひいおばあちゃんとひいおじいちゃんが喜んでくれるし、夜に口笛を吹くと蛇が出るし、悪いことをすると鬼が出る。刷り込まれた御伽噺は消えずにわたしの中に息づいている。

けれど、だからだろうか。お話の世界で生きてきた弊害か、それとも他の何かなのか、わたしは今でも人の死をうまく理解できずにいる。

受験生の冬、祖父が息を引き取った。階段からわたしを呼び、こわばった顔で「おじいちゃんが死んだ」と告げた母の顔は忘れられずにいる。最初に浮かんだのは、「母は大丈夫だろうか」ということで、次に浮かんだのは、「どんな言葉をかければいいのだろうか」ということで、最後に浮かんだのは、「学校を休まなければ」ということだった。悲しむというよりは、悲しむ権利が自分にないような、そんな気分だった。涙も流さない孫で申し訳なくて、部屋に戻って安らかに眠れますようにと手を合わせた。

クラスメイトが亡くなったとき、「喪服って何を着ればいいんだろう」と家族に尋ねると同時に涙が溢れた。でもこのときも、やっぱり申し訳なさが悲しみに勝った。「いい子だったのに」と日記に書いた。「わたしよりずっと生きることに、笑うことに、幸せでいることに熱心だったのに」。彼女が亡くなった病因の治療に関係する財団に寄付をした。それしかできなかったから。

多分「いなくなった」ことがわからないのだ。見えなくてもそこにあるものはたくさんある。連絡の途絶えた友達、幼い頃に会ったっきりの従兄弟、昔ホームステイに来たお姉さん。鬼だって、神様だって、見えないけれどそこにあると頭の片隅で信じている。だから信じられない。「いなくなったこと」が、よくわからない。たまにふと気づく。病院で寝ている女の子の姿をドラマで観た時に、唐突に嗚咽が漏れて、けれどその波もすぐに過ぎ去ってしまう。

きっとこれがわたしの悲しみ方なのだと、思わなければやっていられない。人を喪った時、涙を流し、崩れ落ち、喪失を嘆き......そんな悲しみ方ができる人が、少し羨ましい。わたしは今も、死者が押し入れから帰ってくるような、そんな幻想を抱えたままでいる。


今週のお題「鬼」


The Sound of Silence

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