友人数人とzoom飲みをした。深夜まで盛り上がって、それから、ふと私がコンプレックスの話題をだした。
精神科で、ADHDの検査を受ける前の診察、医者に「得意だった科目は?」とたずねられて、「みんなはなんでもできていて、わたしひとり何もできなかった、得意な科目なんてなかった」と答えて泣いてしまった。今考えると、小論文なんかは得意だったんだけれど、小論文もまとめて「国語」とするといつだってテストの点数も成績も悪かったから。学校に毎日行くこともできなくて、「普通の人ができることをできない自分」が情けなくて嫌いだったという話。
今もたびたび襲われる虚無感と自己嫌悪、コンプレックスは、トラウマは、いつかなくなるのだろうか。
友人は時間だと言った。昔のコンプレックスが、今は少し遠い、たまに夢に見るけれども、昔ほど切実に迫ってくるわけじゃない。10年後にはきっともっと薄れていると思う。時間が解決してくれる。
ゆっくり、考え考え、言葉を切りながら話してくれた。「牧野のそれの場合は...どうなんだろう、今もまだよく接する問題なんだとしたら、また違うかも」
時間は確かにいちばんの良薬だと思う。昔辛かったことのいくつかは今はそれほど辛くない。今日辛いことを、明日は違うかも、と棚上げすることも覚えた。
いつか平気になる。きっと。