合理的な人々はセックスに厳しい

セックスにはーこの場合のセックスは性交渉の意であるー多様性がある。時間、空間、相手、やり方、儀式的なものもあれば感情の発露の場合もある、ただ楽しみのためにやることもある。もちろんやらない人もいる。考えるだけで吐き気がする、という人もいる。そこまで含めての多様性。

最近、「妊娠のリスクを負ってまで、緊急避妊薬を選択肢に入れてまで、セックスをする意味がわからない」という呟きを見た。大変おっしゃる通り。

けれど、合理的に考えればそうなのだろうけれども、人間ってそもそも合理的な生き物じゃなくない?と思うのだ。生殖だけすればいいなら恋愛で気持ちをすり減らすのだって合理的じゃないし、生活費を節約してまでアイドルを追いかけるのも合理的じゃないし、蒟蒻芋を食べるためだけにあの手この手で加工するのも合理的じゃないし、糖尿病のリスクがあると知っているにも関わらずお菓子を食べ過ぎてしまうのも合理的じゃないし、肝臓に負担をかけてまで酒を飲むのも、機能性がないセンスだけの服を着るのも、全部合理的じゃない。

人間の営みって、そもそも合理的でも理性的でも、メリットデメリットで説明がつくものでもないと思う。

いっそう寂しくなるとわかっていても人を愛したいし、アイドルは応援したいし、お菓子を食べるのは楽しいし、ちょっとぐらい寒くても好みの服が期待。性病や妊娠やその他様々なリスクがあると分かっていても、好きな人といるときや、夜が長くて耐えきれないときに、セックスに気持ちが傾く。その行為を媒介に、ひとはなにかの気持ちを育てる。もっと好きになったり、急に興味を失ってしまったり、耐えきれないほど寒くなったり。それはとても自然なことだし、「利益」の文脈からははかれないことだと思う。

だからなんというか、あんま邪険に扱わないで欲しいよね、セックス。という話。

緊急避妊薬、身を守ること

性暴力サバイバーの方に、このページはあまりおすすめできない。


緊急避妊薬が薬局に置かれることになる、と聞いて、まず最初に浮かんだのは安堵だった。

わたしはPMSPMDD、生理痛、どれも酷いので低容量ピルを常に内服している。地元にある産婦人科を使っているが、家からは交通の便が悪く、歩いていくか、バスを乗り継いでいくか、どちらにしても1時間はかかる。

もし、低容量ピルを飲み忘れた日があったとして、もし、その日に望まない性行為を働かれたとして。きっとわたしは産婦人科までいけないだろう。遠いから。たった1時間、されど1時間。初めて痴漢にあった日、わたしは乗り換えた電車の座席に座ったまま、立ち上がれずにずっと泣いていた。立ち上がって、学校に向かう、それだけの動作がどうしてもできなかった。合意のない性行為なら、もっと傷は深いだろう。家を出て、男の人とすれ違うだけでも怖いかもしれない。わたしは、電車の中で男の人に後ろに立たれるのはひどくこわい。迷惑と言われようと、リュックは背中からおろせない。学生鞄を抱えていたらスカートをめくりあげられたから。下着に触れられようと、ナプキンをなぞられようと、両手が塞がっていたから満員電車の中で抵抗なんてできなかった。降りる寸前、踵を返して逃げていこうとする背中を弱々しく殴った。それだけ。

女性は、常に加害に警戒している。混んでいる電車。人のいない夜道。すぐそばを通り過ぎていく自転車。道端に停められた車。加害をしろと教えられている。抵抗しなければ合意と見なされる。抵抗すれば逆上した犯人に殺される。守らなければ、自分で、自分を、守らなければと、身に染み付いている。

緊急避妊薬は、そんな女性のためのひとつの救済策だ。最後の最後、なんとか自分の身を守手段だ。それはすべての女性が持つべき選択肢だ。

もちろん、性被害に限らない。恋人がスキンをつけてくれなかったとき、自分の考えの浅さで生でいいよといってしまったとき、スキンが外れてしまったとき。わたしたちはいつも、次の生理がくるまで気を張り詰めている。ナプキンを汚す血に、もう大丈夫だと息を吐く。


生物学的に女性である限り、生理とも妊娠とも縁を断ち切ることはできない。だからこそ、コントロールする手段は手に届くところになければならない。

子どもの憧憬

というタイトルで、昔、短いエッセイを書いた。もう5年も前の話だ。その時は子供と書いたが、今は意志を持つ年の幼い人々に敬意を表して、子どもと書く。

それは13歳のわたしの恋心についてだった。当時、私は運動部に所属していて、練習漬けの毎日だった。
ひとり、綺麗だと思う先輩がいた。凛とした人だった。後輩と接するとき、不器用に強張る表情筋と、同期とはしゃぐ幼い笑顔が好きだった。

わたしは運動部の出来損ないで、今も昔も少し体が弱く貧血を起こしてばかりいた。困ったことに、どんなに水分を摂っていたって、どんなにバランスの良い食事をしていたって足りない血は足りないのだ。体力もないが血もない。

体育館の隅で吐き気を耐えてうずくまる。頭はガンガンと内側から叩かれるようで、脹脛はわずかに震えていた。

ふ、とわたしの前に影が落ちた。怒られるのかと思って顔を上げた、目の前には彼女がしゃがみ込んでいた。

相変わらずの不器用な口調で、大丈夫、と彼女はたずねた。何も言えずただ頷くと、困ったように彼女はその短い髪を片手でかき混ぜて、ぶっきらぼうに言葉を続けた。

「ちゃんと水、飲んで。・・・無理せず」

もう一度頷くと彼女は立ち上がった。動いたはずみに、つん、と匂いが鼻を刺した。多分湿布の匂いだった。

数ヶ月後、わたしは部活をやめた。学校にあまり行けなくなったから。校内で会っても、気まずさに会釈はできなくなった。ただ目線を落として、足早に通り過ぎた。

幼い憧憬で、幼い恋だった。今でも思い出す。

大森靖子は神様だった

大森靖子は神様だった。

息をするのも苦しかった高校時代、いつも大森靖子を聴きながら坂を登っていた。「死神」「VOID」「きもいかわ」「流星ヘブン」「マジックミラー」「君に届くな」...

「新作とかもうでなきゃいいのに 変わらない私が 古くなっていくみたい」
「笑わなくっても余裕で天使さ」
「見た目とか体裁とかどうでもいいっていって抱きしめてよ」
「助けて っつって誰もこなくても平気さ ぼくはぼくを守るもの」

親と折り合いの悪くなったわたしは、許容に飢えていて、すがれる何かを探していて、だからわたしたちをまとめて抱きしめてくれる靖子ちゃんの曲は光にも等しかった。たぶん同じような女の子はたくさんいたと思う。私だけの私を、わたしだけの可愛いを、わたしだけの生を肯定したくて、イヤホンの内側に閉じこもるようにして聴いた歌の数々。

だからZOCができた時も嬉しかった。いっそう新しいなにかが生まれるのだと思った。Family Nameは飽きるほどに聴いた。嘘だ。聴いても聴いても飽きなかった。かてぃちゃんの全身の力を振り絞るような「クッソ生きてやる」に涙がこぼれた。靖子ちゃんの音楽が変わらずそこにあった。

でもだんだん何かがおかしくなった。

family nameができる前。フィンちゃんがいなくなった。SNSで悪し様に罵るメンバーの姿にほんの少し怖くなった。フィンちゃんの孤独は孤立するのかと思った。

さやぴが辞めた。正直かばいようはないと思っている。

かなのちゃんが辞めた。靖子ちゃんのブログと、公式のお知らせに思わず顔をしかめた。かなのちゃんは「卒業」だった。それなら、裏側なんて、匂わせるべきではなかった。大森靖子という一人のアーティストと、アイドルはまったくあり方が違うのだ。アイドルは夢を与える人たちで、裏で何を思っていても、どんなに揉めていても、表には笑顔を見せるものなんじゃないか。

靖子ちゃんはTwitterをおやすみしている。Twitterはまだまだ荒れている。かなのちゃんにはストーリーの画像をもとに薬物の疑惑までかかりはじめて、西井は真偽もわからない不倫疑惑をリークされて、混沌と化している。

靖子ちゃんはファンに愛を与えてくれる人だと思っていた。その両腕で大きなものを抱きしめてくれる人だと思っていた。いつのまにか、その腕の中にはZOCしかいなくなったのかもしれない、とおもいはじめている。


たぶん神様は死んだ。

MacのプレビューでPDFへの書き込みが保存できない場合

基本資料はプレビューでハイライトを引きながら読んで、それをもとにまとめたいのに、「保存できないから複製を作成した」「複製が保存できません」とかいうなにがなんでも私にPDFに書き込ませたくないのかというトラブルが発生した。

macbook air OSはcatalina 10.15.5である。

機能拡張が影響を与えてバグってる可能性

をまず検討した。catalinaで以前DropBoxの機能拡張の影響でトラブルがあったようなので。
使っている機能拡張はBoxやLINE、Onedrive程度である。機能拡張のチェックボックスを入れたり外したりしてみたが変化なし

再起動

ど定番を一応試した。そもそもしょっちゅう再起動してるので意味なし。最近突然落ちることも多くて電源はわりとこまめに入ったり切れたりしている。こちらに関してはSMCリセット(apple公式HP:
support.apple.com
)
でとりあえず対応、様子見中

OSの再インストール

もしやアプリをインストールし直してみればいいのでは?

名案だと思ったのだが付属アプリはapp storeにないので結局OSごと再インストールすることに。

support.apple.com


かなり時間はかかったがなんとか起動。最新のOSをインストールし直したところ、

直った


現在は無事プレビューでPDFの書き込み・保存ができている。快適・・・

そういえばこんなのもあったけど試さなかったというメモ

support.apple.com

catalina、別にそう悪くはないと思うのでうまく付き合っていきたい。

根にもつひと

つまりはわたしのことだ。

コロナ禍の現在友人とのやりとりは電話やZoomが多い。Zoomとなるとかなり時間を食うので、午前なら午前、昼過ぎなら昼過ぎ、夜なら夜でまとめて時間をあけることにしている。

しかし気軽な分、ちょっとした事故も起こりやすい。

最近かなりキたことは、Zoomの約束をしていた友人が朝から1日彼氏と遊んでいたことだ。朝インスタグラムのストーリーでそれを見て、わずかな期待にすがって30分ほど約束の時間意味もなくパソコンの前で携帯をいじって、それからようやく諦めた。

知り合いは多いけれど友人は少ない典型の私は、ひとりひとりに注ぐ気持ちの量がやたらと多い。それを返してくれる人と返してくれない人がいるのは当たり前で、とうに割り切ったつもりではいたが少々傷つくもので。

ストーリーにあがっていたお店は友人の家から2時間はかかるであろう場所で、それを確認して、パソコンを閉じた。ため息は出なかったけれど、友人にメッセージを送って確認することもしなかった。予定を忘れてしまうほどに、優先順位に差があったのだろう。それだけ。

「第一志望じゃなかった」マウント

正直に申告する、わたしも去年はやったことがある。

「ここ、第一志望じゃなかったんだよね〜」

高校よりずっと人の増えた社会で、なんとか自分の価値を確立したかったのかもしれない。結局今いる環境は同じなのに、一歩上に立ちたかったのかもしれない。わたしは聞かれるたびに嘯いた。「実は、第一志望はさ・・・」

今年、仮面浪人生として否が応でも1年分老いた目線で現役生を眺めて、決まり文句に苦笑してしまう。去年の自分を思わせて、少し恥ずかしい。

「○○学部、第一志望だった人いない説」「ここ第一志望じゃなくてさ」「いるの?むしろ」

きっと彼女らも、幾年かすれば気づくのだろう。無意識に誰かを踏もうとしていたこと。自分の何かを証明したかったこと。

自分探しなんて言葉は嘘だ。違いは他者との間でしか生まれない、けっして自分だけのなにかなんてないのだ。あるとすれば、自分が生まれて辿ってきた道筋、決断し選んだ分岐、そういうひとつひとつがたったひとり誰とも被らない人生を作っている。

と、気づけたのも、たくさんの選択を自覚的に行った去年があったからだ。気付いたばかりの私は、ひとつしか違わない学生たちの「らしさ」探しが、気恥ずかしくていたたまれない。