都内暮らしの大学生。毎日の習慣としてこのブログを更新しようと思っていたけれど存外忙しい。人にされて嫌なことはしない主義なので本にまつわる記事もネタバレは基本しない。
宇佐美りん『推し、燃ゆ』を読んだ。
久しぶりにこのブログを開いた。誰かが見てくれているのかも、見てる人なんてひとりもいないのかもわからないブログだけれども、どうしてもこの本のことを誰かに話したかった。
ある日、推しがファンを殴ったというニュースからこの本は始まる。ネタバレを避けたいので、詳しいあらすじはここで載せない、ぜひ本を手に取って読んでみてほしいと思う。
一冊を通じて、推しに祈るような、全てを捧げるような、そんな姿が描かれる。推しは背骨だ。
私も、小学生の頃はAKB48の大島優子に憧れ、KARAにはしゃぎ、ももクロを口ずさみ、そして思春期の背骨はKPOPだった。1分1秒でも長く推しを眺めていたかった。彼が幸せであればという願いが、私の中でなによりも純粋な祈りだった。だから、主人公の彼女の気持ちは痛いほどわかる。
けれど、それよりも、なによりも痛みを伴って私にこの本を読ませたのは、「ふたつほど診断名がついた」彼女の生きづらさだった。人の疾患を推測することの無礼さを知っていながら、あえて彼女の診断名を推測するなら、発達障害と学習障害あたりになるのではないかと思う。提出物が管理できない。持ち物を忘れる。部屋はすぐに汚れて、タスクが多いとあっという間に頭が埋まって動かなくなって、洗濯物を部屋に持って戻ることすら誰かにせっつかれないとままならない。
生活をこなせないその姿に、私だと思った。アイドルの話だろうかと油断していた心にぶすりと棘が食い込んだようだった。
私はADHDの診断を受けている。副作用がひどく、薬は飲まなくなった。大学の留年スレスレを這っている。世界は私にとって迫ってくるもので、生活はあまりにも煩雑だ。でもそんな自分認められないから、目を逸らしている。逸らした先で読んだ本に、刺された。
生きづらくても、上手くこなせなくても、生活は続く。そうしたいわけじゃないのにわけじゃないのにしょっちゅう何かをこぼす。こぼしたものは自分で拾わなきゃいけない。苦しくて、縋った先の推しは永遠ではない。
彼女が、それが推しでも推しじゃなくても、縋れる杖が見つかればいいと思った。わたしたちに杖なしで生きられる日は来ない。
今ならまだやり直せるよ
桜散る 桜散る ひらひら舞う文字が綺麗
「今ならまだやり直せるよ」が風に舞うクリープハイプ『栞』
大学に入ってからもう何度目の桜か。2019年入学、2020年にも入学。私はまだまだ大学を卒業していない。
母も恋人も、私の学年を人に説明するのが難しく適当に話しているらしい。そんなことを聞くたびに少し傷つく。「普通の人と同じこと」がずっとしたかった。今でもぼんやりとした劣等感に苛まれる。
やり直せることなんてないのだな、と思う。時間は流れてもう戻ってこない。かつてできなかった何かを達成したとして、それはやり直せたことにはならない。失敗の歴史は塗り替えられない。傷はいつまでも傷のまま、皮膚の地層の奥に埋めて暮らしていくしかない。重ねた年輪でいずれ傷は遠くなる。
劣等も葛藤も皆持っていて、それでも自分のそれがいちばんつらいのだと感じるのが人間らしさなんだろう。
舞い落ちる花びらを捕まえようとして、軽いそれは手の動きによって起こった風に乗って逃げてしまった。芥川龍之介の「火花」を思い出した。『ある阿呆の一生』の一節。それだけが欲しかったのだと、思ってしまうようなもの。手に入らないものは諦められない。
23卒のはずがいつしか25卒になってしまった。受け止めていて、笑い飛ばせるようなことで、恥ずかしくて、つらくて、今年の桜は少し恨めしかった。
千鳥ヶ淵の桜の下、唇を噛んでじっと新入社員を見つめる女がいたらきっと私です。
今週のお題「お花見」
幕引き
帰れない道をずっと歩いて 誰かの腕に優しく抱かれた
平穏な日々が過ぎてゆくなかで 誰かの声がかすかに聞こえた
恋人ができた。出会って2日で付き合った。
遊ばれているのかもしれない、という不安は、時間経過で和らいでいる。でも少しだけ残っている。
もしかしたら、ひょっとしたら、本当に私のことが好きなのかもしれない。少しずつ優しくなるし少しずつ重くなる。
あの人のときみたいな痛みがない。だから私は、好きなのか自信がない。ふとした瞬間に思い浮かべても胸が締め付けられたりしない。相手を前にしたら食欲がなくなったりもしない。嫌われるのが怖くて自分の話ができなくなったりもしない。
手を伸ばして抱きしめてもらうことも、伸び上がってキスをすることも、同じベットで深く眠ることも簡単にできる。そわそわもドキドキもしない、心臓は早鐘を打たない。彼に後ろから抱え込まれて脱力してしまえる。
セックス中に、相手の首に腕を回すことさえ難しい頃があった。
大好きだった人に一晩だけと言われてしまった頃。大好きな人に軽んじられて、多分私は私の価値を感じられなくなった。無下にされた理由を自分に求めた。「やり捨て」られたのではなく、誰とでも寝る女なのだと思い込もうとした。
知らない男と寝た。
私は誰とでも寝る女になった。
いつしか、セックスは手段に変わった。崩れた精神でも強烈に感じられる刺激がセックスだった。別に気持ち良いわけではないときもあった。でも、ベッドの上で自由に振る舞えるようになってから、一時凌ぎの現実逃避はできた。
それでも相手からの評価には常に怯えていた。寝る価値すらないと思われることを恐れた。寝たいと望む男がいることを承認と勘違いしていた。「セックスを望まれるということは、最低限はクリアしている」そう言い聞かせていた。根深いコンプレックスで苦しかった。
そりゃあ悪いことばかりではなかった。経験だけは積んだおかげで、恋愛経験の少なさがバレることを恐れなくなった。女である自分に慣れた。女性らしい服を選ぶことを躊躇わなくなった。誰と寝ても、寝なくても、私そのものが変質することなどないのだと知った。
でも、それでもずっと苦しかった。自分の首をずっと握っているのは自分の手だった。
「牧野はこれまでの人生で傷つきすぎてるよ。俺は傷つけない人だからね」
抱きしめられて言われた言葉はきっと別れても忘れないと思う。なにもかもわかってくれるわけでも、受け入れてくれるわけでもない、完璧には程遠いただの恋人のただのセリフだけれども、とても優しい慰労で、美しい1章の幕引きだった。
怪獣
さあさあ 怪獣にならなくちゃ
等身大じゃ 殺されちゃう
3年前の私は、垢抜けず真面目で、けれど明るかった。子犬のように歳上に懐いた。可愛い後輩だったと思う。不器用な恋愛もしていた。自分を特別だと思っている、弱い男の子だった。彼も私も、わたしのことは大事じゃなくて、最後には私はバッグの隅のハンカチみたいにくしゃくしゃになって地面に落ちてしまった。
遊んでそう、と言われるようになったのはいつだったか覚えていない。
昔は大事にされる女の子になりたいなと思っていた。花みたいに笑って誰にでも優しくて、誰からも愛される絵本の主人公みたいな女の子。今は何になりたいのかよくわからない。
男の人と寝るのは好きだ。自分の輪郭がぼやけて、私がわたしであることをやめられる時間。けれどいつも少し疲れる。ピンセットで摘んだ分銅をひとつずつ乗せられていって、やがてソファに座り込む。
タトゥーを入れて、耳に穴を開けて、てきとうな男のひとと寝て、わたしの何もかもを壊してめちゃくちゃにして、私は怪獣になりたい。
年下の男の子
年下の男の子と寝た。多分私に好意を寄せていて、でもひねくれ者の私は、その好意の底にある「年上の女への性欲/年上に好かれる自分への自信」みたいなものをひっそり嗅ぎつけてふぅん、と思っていた。
安くて別に旨くはないチェーンの居酒屋を出て、明日の予定を聞かれた。まだ帰りたくない、と強請るやり方は、私がいつも使うと話した手口だったと、後からその子に言われて気づいた。ホテルを探したのは私だった。だって相手は年下だったから。何かを決めてもらうことに甘んじることができる、年下のそういう特権を男の人に使われるのは好きじゃない。別にそれは男だから、女だから、という一般論じゃなくて、ただ私が全部任せて預けてくる男の人に性的魅力を感じないというだけの話だ。
それでも、ちょうど好きな人相手にボロボロになっていたところだったので、適当に悪くない相手と適当にセックスがしたかったから寝ることに決めた。
今まで、あまり経験がない相手とセックスをしたことがなかった。そもそも恋人と続かないので恋人とセックスをしたことがあまりないし、遊ぶときはセックスに慣れている人を当然選ぶ。慣れている相手に教えてもらうのが好きだ。フェラチオのやり方も、ゴムの付け方も、乳首の舐め方も、みんな男の人に習った。
一度だけ経験のない男の子と寝たことがあるけれど、その子は素直でセンスがよかった。やんわりとリードすればその通りに動いて、女の反応をよく見て、正しく腰を動かせる子だった。
あんまり経験がない、とは聞いていた。素直にリードされてくれればいいな、と思った。一度だけ寝た童貞の男の子との一晩はそれなりに良い思い出だったので、そう悪くはないだろうと高を括っていた。ホテルの部屋に入るまで。
入って荷物を置き、コートを掛けるなり、後ろから乱暴に抱きすくめられてあーあ、と思った。こういうタイプ。ガサツに服を乱していく腕をぼんやりと見る。荒っぽい動作に透ける幼さと経験の浅さを可愛いと思えるほど、私はそもそも年下が好きなわけじゃない。
やたらとイカせたがったり、お酒を飲んでいるせいか勃ちも悪いから入ってる感じがしないし、腰の振り方も下手だし、事後すぐに触ってきたり、そういういろんなことで少しずつ脳の中心が冷めていく。フェラの姿勢はよく考えて欲しい。その体勢じゃ私は舐めにくいの、わかる?いじめられるのも意地悪を言われるのも好きだけど、私がご飯を奢ってあげるような年下に言われても別に興奮しない。
天井を眺めて好きな人に会いたいな、と思った。可愛いとも好きだとも言ってくれなくていいから、ピロートークもいらないし終わるなり背を向けて眠ってくれていいから、あの人と寝たかった。
誰かに繋がりたくて誰にも繋がりたくない
みたいなアンビバレンスをずっと抱えている。
誰かを求めることは
即ち傷つくことだった宇多田ヒカル『one last kiss』
2ヶ月前、すごく好きな人ができて、お酒の流れでキスして、曖昧に付き合って、多分飽きられた。体温が高くて、声が優しくて、癖っ毛が可愛い人だった。そういうありふれた話の主人公になんて久しくなっていなかった。心が根っこから引き抜かれて土を振り落とされてしまったみたいに、いまは少し寒い。
寒くて、他の男の人と会おうと思って、会っては何か違うと戸惑った。求める人はこの人じゃない、ってきっと距離を取ったのは私の方なのに、相手から求められないとまた傷ついた。勝手な話だ。
私にはきちんと大地に張れる根っこがない。大樹みたいな立派なやつじゃなく、ぺんぺん草みたいなひょろっとした根っこしかない。だから簡単に倒れてしまう。土が流れれば立っていることさえ覚束なくなる。
愛されたくて、認めて欲しいはずなのに、わたしのダメなところを一つも知られたくない。隠してしまう。それとも、隠すほどのわたしさえ、もともとないのかもしれない。
体だけの関係は楽だった。端から愛されることなんて望まないから、失望しない。どんなところを見られたって、どうせ体だけ。相手のために変わる必要もなければ、相手に好かれる努力もしなくて良い。
でも誰かときちんと繋がりたくて、体だけじゃない関係を求めてしまう。ぼろぼろになるだけなのに。
バセドウ病にかかった
タイトルの通り。
偏頭痛で通っている病院で、ここのところ偏頭痛もひどくなってきている上に生理も不順だ、という話をした。病院に忌避感を抱く私が安心して通えるほどに物腰の柔らかな先生は、ふと私の喉の様子を診ると、血液検査をしませんか、と切り出した。偏頭痛には後ろに病気があることが多く、若い女性の場合それは貧血や甲状腺の異常である場合が多いという。わたしは先生に全面的な信頼を寄せている。1も2もなく了承した。久しぶりに血液が抜かれる様は見ていて気持ちが悪くて、思わず目をそらすと先生にも看護師さんにも気遣われた。
次の日、朝の8:30ごろに病院から電話があった。血液検査の結果を伝えたいという。電話で話すことは禁止されているらしい。紹介状も出すので、今日来られますか、と先生は言った。鼓動がはやくなるのを感じた。なんでもない顔で、同居している家族に、血液検査の結果を聞きにこいと言われたと告げた。母の顔が陰った。
甲状腺の機能亢進が見られたと伝えられ、総合病院へと通うことになった。
私はかかり始めに先生に発見してもらったようで、検査の1週間後から転がり落ちるように体調を崩した。布団から出られない日が何日もあった。今は少し落ち着いてはいるが、電車に乗っての移動はここしばらくできていない。昨日、友人が最寄駅まで来てくれて久しぶりに会った。つい先日の通院では心拍数が135を超えており薬が増えた。
大学ではフィールドワークをする予定だった。専攻を変えなければならないと思う。となるとゼミのために必要な授業を何一つ取れていないので、1年余計に大学に通うことになるだろう。なにもかも嫌だ、と投げ出したくなる。