「キッチン」、健全という暴力の話

宗太郎は笑った。とても背が高いので、いつも見上げる形になった。この子だったらきっとーー私は横顔を見ながら考えた。きっと、ばりばり私を引っぱり回して新しいアパートを決めさせたり、学校へ引っぱり出したりしたんだろう。
それ、その健全さがとても好きで、あこがれで、それにとってもついていけない自分をいやになりそうだったのだ。昔は。
吉本ばなな『キッチン』

高校生の頃、休んだ分の書道の補習のために放課後書道室に残るわたしに、友人が付き合ってくれていた。膨大な課題をやっつけながら「ごめんね」と言うと、友人はちらりと携帯から顔を上げた。
「別にいいけどさあ、牧野。学校はちゃんと来なきゃダメだよ。そういうものでしょ」
淡々とした言葉がいやに書道室に響いた。

学校に行かなければと信じてその通りに実行できること、沈んでいてはいけないと考えて行動に移せること。そういう真っ当な健全を持つ人と持たない人がいる。サッカーを好きな人と好きではない人がいるように。そのどちらも正解ではないし、そのどちらも間違いではない。ただ、健全は正しいとされてしまうから、人をねじ伏せることができる暴力性を孕む。

この本は、そんな健全さからは逸れた道を歩くけれども、ひどく優しい人たちの話だ。

キッチン (角川文庫)

キッチン (角川文庫)