はたち、煙草を吸う男
これまで、分煙、禁煙、副流煙について散々学校で学んできて、それでもなぜ手を出したのかはよくわからない。他人に害を与えたくはないので、人通りの少ない時間に庭で吸っている。
肺に煙を落とすのは苦しくて、口内に溜めてそうっと出している。鼻から吐きだすときのじんとした熱さと、ぼんやりとした煙臭さは結構好きかもしれない。
必死に何かになろうとしている。母親ではないなにかになりたいのだと思う。
父は昔煙草を吸っていた。ドライブに行く前、車の横で一服する姿を覚えている。子どものためにやめたらしい。今では付き合いで吸うこともなく、休日はご機嫌にギターを弾いている。
わたしがまだ小さい頃に単身赴任をした父のことは、父親というよりは男に見える。身内の男。兄よりも少し遠いが、他人ではない。微妙な距離感は、彼が持病を抱えた頃に少し狭まった。
父の影響だろうか、煙草を吸う男が好きだ。
祖父は昔葉巻を吸っていた。わたしが物心ついた時にはもう煙草に鞍替えしていた。祖父の部屋着に染み付いた匂いと、換気扇周りの黄ばんだ壁。よく本を読む人だった。祖父の蔵書はいまだにうっすら煙草の匂いがする。
兄は嫌煙家ではない。しかし、煙草を吸ったこともないらしい。耳に穴を開けようと思ったこともない。兄の部屋は清潔な洗剤の匂いがする。兄は、母にとてもよく似ている。ものに執着することを蔑み、最善を尽くさない人を憎む。
母は兄をいたく気に入っている。友人の母が、友人にふと言っていたという。「牧野ちゃんのお母様は、お兄さんがとても好きね」たぶんそれは半分合っていて半分間違っている。母は兄が好きで、娘のことが少し受け入れがたい。
小さい頃は兄になりたかった。中学生ぐらいから、母のようにはなりたくないと思った。
ピアスも煙草も、母の娘を抜け出すための手段なのだ。もうあなたの付属品ではないと知らしめたくて、あの人にはならないと己に誓って紫煙を燻らせる。
シャネルのガブリエルが香る部屋で、舌に残る苦味に安心している。
オンライン授業についての書簡
桜が散り新緑の季節かと思えば、ここ数日は急に冷え込んでいるので、あなたの体調を心配しています。花冷えとでもいいますか、新たな生活を待ちつつ分厚いセーターを仕舞った数ヶ月前に戻ったかのような心地です。
お元気でいらっしゃいますか。あなたは5月になると決まって体調をくずしますが、今年はうまくこの時期を乗りこなせていますか。
さて、今日こうしてお便りを出しているのは外でもない、ようやく始まったオンライン授業について、あなたとお話ししたく思ったのです。ほんとうなら、テーブルの木目も美しい喫茶店で、珈琲片手にあなたと目を見交わしておしゃべりをしたいところなのですが、なにぶんこの時勢です。それはさきの楽しみにとっておくことにしましょう。
オンライン授業はいかがですか?こちらはなかなか気に入っています。通学に時間が取られないのはいいものです。満員電車がない生活、毎食コンビニで500円が消えることも、ひとの視線にうつむくこともなく、もくもくとノートをとりながら動画を見ています。文系畑の人間なので、進化論にはすこし苦戦しています。
ただ、回線の不安定さは少々いただけない。有線Wi-Fiをこのたび我が家では導入しまして、たいへん快適なネット環境なのですが、どうにも先生の方の回線が悪いようです。けれど少し乱れた動画に目を凝らすのも一興でしょう。
オンラインでの英会話の授業はそうも言っていられませんが。ただでさえとくいとは言えない英語なので、授業の前にはしくしくと胃が痛みます。音声が3秒乱れただけで致命的です。進む会話の中、とりのこされまいと眉間にしわをよせています。
オンライン授業は悪くはありませんが、やっぱり、先生の目を見てうなずきたい気持ちもあります。ノンバーバルコミュニケーションって大事ですよね。
あなたの話も聞かせてください。この前の電話で話してくれた、滑舌が悪くてまったく聞き取れない先生の授業、その後いかがですか?
あなたのお便りもお待ちしています。どうか、お体にお気をつけて。珈琲の香りとともにふたたび会いましょう。
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所感って打とうとしたら書簡と変換されたのでお便りを出しました。
オンライン授業、悪くはないけれどいつもより課題が多い気がします。
荻原規子さんの描く恋の話
昨日からオンラインで授業が始まった。何かが始まる時の、なんとも言えぬ高揚と緊張はいつまでたっても苦手だし慣れない。隣の部屋からボサノヴァと「こころ」の音読が聞こえてくるのどかな日曜日は腹痛と共に幕を下ろして、ここ2日ははあんまり寝られなかった。
眠れない夜は特に、恋がしたいな、と思う。「日曜日の夜はベッドが広い」と歌ったのはEXILEのSomedayだったか、ひとり寝というのは別れた恋人がいてもいなくても少々寂しいものだ。
恋をするという楽しみを教わったのは本からで、そもそもなにもかも、言葉も心もなにもかもを本に習っているのだけれど(そのせいでいくつかの日本語のアクセントが可笑しい、本は発音までは教えてくれない)、その中でも特に荻原規子さんの小説が好きだった。「これは王国の鍵」「空色勾玉」「RDG」「セラフィールドの少女」小学2、3年生のころ夢中になって読みあさり、それからずっと本棚に揃えている。
荻原規子さんの小説の中で、彼女らはけっして恋を求めに行くわけじゃない。ただ必死に駆け抜けて、その途中でふと抱える気持ちに気づく。ボーイミーツガーツならぬ「ガールミーツボーイ」的なその作風がとても好きだ。目的としての恋ではなく、人に向ける気持ちの変化の先に恋があるのだと幼いわたしは胸を高鳴らせたものだった。
昔の方が、ずっと上手に人を好きになっていた気がする。
月と地球の金太郎飴/「時計じかけのオレンジ」
ところで、右耳に3個目、両耳で4個目のピアスをあけた。ピアスをあける、の、あ、が開なのか空なのかいつも迷ってしまう。穴を開ける、なので開なのだろうけど、イメージとしては空がむいている気もする。
ディムのやつだけは恒星や惑星やお月さんを、ぽかんと大口開いて見上げ、こんなものはじめて見つけた子供みたいに、いうのだ。
「あすこにゃ、誰がいるのかね?あんなとこに、何があるんだろね?」
(中略)
「あんなとこに、おまえ、行こうなんて思うんじゃねぇぞ。こことちっとも変わらねえんだよ、あそこもな。ナイフで刺されるやつもいりゃナイフを突き刺すやつもいるってもんだ。」
アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』
ピアスの穴は想像する時が一番美しいし、処女膜はなくなってから惜しくなる、青春は振り返って惜しむもので、虹の足はどこにもない。なんだって遠くにあるときがとっておきの宝石に見えるもので、けれどたどり着いてみればちっぽけで代わり映えのしないガラスにすぎないのだ。
こんなご時世であるので、他県のナンバーを携えた車を傷つける人がいるのだという。おいつめられてみれば「勤勉」「親切」を謳うひとたちもそんなもので、東洋の神秘を求めてやってきたマルコ・ポーロはがっかりしただろうなぁ、と思う。どこへ行ったって金太郎飴と同じ、刺す人間と刺される人間がいて傷つける人間と傷つく人間がいるのだ。
時計じかけのオレンジ 完全版 (ハヤカワepi文庫 ハ 1-1)
- 作者:アントニイ・バージェス
- 発売日: 2008/09/05
- メディア: ペーパーバック
日記
目の痛みと頭痛、吐き気という3点セットの体調不良に襲われることがある。1月に1回、3月に1回、今日で3度目だった。3度目ともなるとそれなりに慣れてくるのですぐさま頭痛薬を飲み、カイロを抱えて寝た。吐かなくて良かったことが今回ありがたかったところだ。過去2回は泣きながら吐いたので。
なにが理由かもわからない体調不良は辛い。
モラトリアムが終わる
来週の月曜日にはオンラインで授業が始まってしまう。待ちわびた大学開始ではあるのだけれど、あまりにも長かった春休みの終わりを惜しむ気持ちもある。
家から出ずに自室に篭り、なんとなく自分のことを考えて過ごしていた。かつて書いた文章を整理してデータベース化したり、以前吹き込んだボイスメモを文字に起こしたり。「たすけて、だいじょうぶ、だいじょうぶ、まだだいじょうぶ」と何度も自分に言い聞かせる悲痛さを過去において、冬の季節を通り過ぎてきたのだと実感する日々だった。
中学生・高校生というのは、おそろしいほどに逃げ場を持たない6年間であると感じる。どこにも逃げる先などないのだと何度も噛み締め、降りられない電車の中微睡に逃げていた。池袋の駅前で補導されかけたこともあるし、ショッピングモールのトイレで吐いていたこともあった。
もうすぐ20を迎える。歳を重ねるということは逃げる手段が増えるということだ。モラトリアムが終わっても生きていける、そう確信することだ。
生理痛が酷くなっている気がする話
もともと生理のたびに腹を壊すわ腰が痛いわ腹も痛いわと難儀な体質ではあったのだけれど、にしてもどうもこの数ヶ月生理が重くなっている気がする。
最初に気づいたのが仮面浪人中だったのでストレスかなと適当に理由付をしたのだけれどどうもそうではないらしい。
今日で3日目になるが、昨日一昨日は薬を飲んでいても布団から出られなかった。値が流れ出す感触と腹痛で気分は最悪だ。
本当ならこの4月に婦人科に相談に行くつもりだったのだけれど、この情勢ではどうもそういうわけにも行かない。イブを飲みながら収束までなんとか凌ぐしかない。