SHINee、そして花の根を抜いた人

昔からのファンの人には、きっとこの話は快くないものであり、辛い話を含むことを、まず記しておく。


最近、本当につい最近、SHINeeというアイドルを好きになった。わたしはもう5年ほど K-POPが好きで、そのうち4年間はseventeenをはじめとする若手のアイドルに夢中だった。友人がファンだったこともあり、唆されるままにMVを観た。アイドルは光のようだった。わたしはそのとき、どうしようもない冬の中でもがいていて、誰にも叫べず、狭いクローゼットに閉じこもって泣いていた。わたしはそれを「発作」と呼んだ。アイドルにはまってから、クローゼットの中でMVを眺めるようになった。seventeen ウジのソロ曲「SIMPLE」、防弾少年団BTS) SUGAの曲、誰かが訳してくれた歌詞を眺めて泣いた。縋るものがある暗闇は以前よりずっとマシだった。マシだったけれど、暗闇から出ることは叶わなかった。

2017年、高校2年生の頃、自暴自棄な気持ちに取り憑かれながらも、這うように日々をやり過ごしていた。そんなとき、ある訃報を聞いた。ファンとは言えないまでも、たまにCDを買ったりするアイドルと、同じ事務所のひとだった。私はその人についてよく知らなかった。ただ、その人の遺書と呼ばれる文章を抱きしめるように読んで、淡々とノートに書き写した。そのときわたしは、終わってしまいたかった。明日が怖くてたまらず、刻一刻と過ぎていく時間に怯えながら日々を過ごしていた。全てに疲れていた。もちろん友人との時間は楽しかったし、甘いものは好きだった。けれど、数時間の幸せがあるほど、そのあとの夜は重くなった。左手の親指の付け根を強く噛んでは、わたしは不安を誤魔化していた。「なぜ死ぬのかと言われたら、疲れたからと言いたい」その言葉を書き写してまた泣いた。

人の痛みを分かち合うことも、その理由を理解することも、決して出来はせず、他者からの勝手な推論は死者への冒涜でしかない。彼とわたしの気持ちは同じものではない。けれど、彼の文章を読んで、まるでわたしを語っているかのようだと感じた、その気持ちは決して否定はされ得ない。わたしも終わりたかった。お疲れ様と見送られたい気持ちに、勝手に痛いほど共感した。

どうしてそんなに自分が辛いのかわからなかった。わたしは恵まれていて、悩みのひとつひとつは大したものではない。「ほんとうは辛くないんじゃない?」と最初に言ったのが誰かだったかわたしだったか、今ではもう忘れてしまった。「ご飯は食べています」と答えるたびに、医者の目が「辛くないでしょう?」と語っているように見える。「今年志望校に合格しました」「家族で深い話はできませんがくだらないおしゃべりはけっこうします」「友達は多くはありませんが、好いてくれる人もいるようです」「心臓病を患った父は良医にかかり術後は安定しています」。大変結構、恵まれた環境。ただ学力で勝ち抜いていく場所に疲弊しているだけ。少しわたしが弱くて、ストレス耐性が低いという性格だというだけ。

明日を望まないままに惰性で生きている。持ち直しては落ち込む。医者には鬱でないと言われたから、鬱ではない。ただわたしの気質のせいだ。贅沢なんだろう。今年も最悪だった。少し浮上しては落ちての繰り返し。縋るようにアイドルを観た。昔の日記を開いて、彼、ジョンヒョンの遺書を見つけた。再び泣いた。3年前からわたしはちっとも進んでいなかった。

年末、SuperMというこれまたKpopアイドルを追いかけ始めて、もう1人SHINeeのメンバーに出会った。それから、色々と眺めているうちに、SHINeeをいっぺんに好きになってしまって、ライブDVDを集め始めた。圧巻のパフォーマンスにたちまち魅了された。彼らのステージはロックバンドに通ずるエネルギーがあった。ライブDVDを観ながら、テミンのソロ曲のCDを流しながら、今ゆっくりと、ジョンヒョンの足跡を追っている。音に耳を傾け、歌詞の和訳を読み、また聴いて。

ジョンヒョンの残した音楽という足跡が、今わたしの夜を慰めている。いつまで続けられるかわからない夜を。けれど彼の、彼らの音が途絶えるまで、聴いていたいとぼんやりと思う、これが夜に差し込む淡い一筋の光である。

Just Chill

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