善悪の再評価の話、「PSYCHO-PASS ASYLUM1」

「僕は思うんだ。悪を選んだ人間は押しつけられた善を持っている人間よりずっと人間だろう、と」
「何に価値があり、何が幸福であるか。それを決めるのは社会でも、他者でもなくーー自分自身の意志だけだ。だから、そうして選び取られたものは、どのようなものであれ、正しく、尊い
吉上亮「PSYCHO-PASS ASYLUM1」


常に思考し続けることは人間を人間たらしめる必要条件であると思う。決して他者の価値観も法の定める善悪も鵜呑みにすることなく、既存の価値は試され続けなければならない。
その昔、天は動くものであったし全ての生き物はすべて神によって今の形そのままに作られていた。女は家庭で家を守る存在であったし、夫は夜な夜な妻を問い、宗教を理由にまだ幼い少女は生殖器を切り取られた。
社会の定める善悪は移り行く。不変でもなければ絶対でもない。再評価を必要とする、人間の作り上げた代物だ。

それでもなぜ善悪の基準が必要とされるのかというと、社会を存続するためだ。社会の幸福のため法律は必要とされる。

集団の一人として法は守らなくてはならない。肝心なのは、法を守ること、つまり善を、自分の意思でを選ぶことだ。

わたしは冒頭の発言をした登場人物ほど過激ではないので、悪を選び行動することを良しとはしないし、善を唯々諾々と受け入れる人間が悪を選ぶ人間に劣るとは思わないが。

ピアスという存在証明の話、「蛇にピアス」「刺青」

「スプリットタンって知ってる?」
「何?それ。分かれた舌って事?」
「そうそう。蛇とかトカゲみたいな舌。人間も、ああいう舌になれるんだよ」
金原ひとみ蛇にピアス

蛇にピアス』の冒頭も冒頭、最初の1ページ目の会話だ。同書によると、舌ピアスのゲージを徐々にあげていき、穴を拡張して最後に切り離すとスプリットタンになれるらしい。生きていく上でこれっぽっちも必要がない人体改造。

ピアスもタトゥーもスプリットタンも生きていく上で必要なんてない。それでも何故するのかと言ったら、やっぱり何かを証明したいのだと思う。

ここにいること。自分が自分であるということ。自分の体は自分のものであるということ。

海で死んだ遺体は身元の判明が付き難い有様になってしまうから、漁師は昔刺青を入れたのだと聞く。

「己はお前をほんとうの美しい女にする為めに、刺青の中へ己の魂をうち込んだのだ、もう今からは日本国中に、お前に優る女は居ない。お前はもう今迄のような臆病な心は持って居ないのだ。男と云う男は、皆なお前の肥料になるのだ。………」
谷崎潤一郎『刺青』

持って生まれた体に手を加えて本当の自分になるのだ。肉体に穴を穿つ事は不可逆な行為である。時がたち穴が埋まっても、穴を開けたという事実は失われることはない。「ホリミヤ」でも「オタクに恋は難しい」でも、彼らは痛みを確認するように、大人になろうと、自分であろうと足掻くように耳に穴をあける。

ということで、右耳に2個目のピアスを開けた。これで左右4個目、1個はもう埋まってしまったけれど。
ピアッサーはおなじみセイフティピアッサーを使っている。自分で多少グッと押し込む必要があるけれど、バネが効かない分狙ったところに挿せるのでリピートした。

f:id:justfancy-com:20200501092031j:plain

次はタトゥーを入れたい。

蛇にピアス (集英社文庫)

蛇にピアス (集英社文庫)


刺青

刺青

亡骸を愛する話、「ELLEGARDEN」

気がつけば人に伝える言葉ばかり考えている。来月誕生日を迎える友人へのメッセージ、溜まっているLINEの返信。そんなものがくるくるくるくる脳内をかけめぐって何処かへ行ってくれない。暇さえあればくるくるくる。

多分世界と繋がりたいのだ。世界とつながる手筈をいつも考える。けれどどうにも人と接するには心の強度が足りなくて、最後には読書に行き着く。

 

本はいつも私のシェルターだった。強制的に今いる世界から切り離してくれるもの。ファンタジーが特に好きだ。決して行けないとわかってるから、触れられないから好きだ。

触れられないというのは諦めがつくことと同義で、決して手が届かないとわかっているから安心して眺められる。本もそうだし、もう活動休止したバンドもそう。時が止まっているものに一方的に関わることが好きだ。

ELLEGARDENは私にとってそういうバンドだった。息を吹き返さないもの。音楽を抱えて時を止めた死体だった。更新されないYouTube。リリースされないCD。だから安心して愛することができた。

そうしてずっと愛していたから、生き返った今もおずおずと愛せる。

 

結局、反応が怖いのだ。愛を拒絶されること。愛するものに愛されないこと。分不相応だと笑われること。だから友人が怖い、死体を愛する。

 

生者の抱くものに永遠はない。永遠の愛も永遠の友情もない。不変でないものなど要らないのだ。いつかは失われるものに意味などない。人は変わっていく。諸行無常。色は匂へど花は散る。本もCDも朽ちていく。わかっている。わかっていてなお、変わらないものを探している。亡骸を抱えている。

「YES IT'S ME」、人のファッションを笑うなという話

お化粧もスカートもヒールの靴もなんだか恥ずかしくって後ろめたくって出来なかった
女をうまく生きられなくて男の人になりたかった
ヤマシタトモコ『YES IT'S ME』

レースもフリルも似合わない、男勝りな自分にはスカートよりショートパンツ、ピンクよりネイビー、ツインテールじゃなくてポニーテール。可愛いお洋服を売っている店に入るのも恥ずかしかった。勇気を出して買ったグレーのシフォンスカートはお姫様みたいで、けれど「舞踏会にでもいくの?」と母にわらわれてゴミ袋に突っ込んでしまった。

「TPO」「肌出し過ぎじゃない?」「水商売みたい」「おかしな服買ってるね」

オトコオンナの呪いに抗って、いざ好きな服を買おうとしたら家で投げつけられるのはそんな言葉でわたしは服が嫌いになった。クローゼットは真っ黒、オールブラックもいいよねなんて言い訳をして色鮮やかな服の群れを横目にデパートを早足で通り過ぎた。かっこいいと言われることが増えて、それはオトコオンナと同じ響きを孕んでいた。

それでも最近ようやく、少しずつ好きな服に手を伸ばせるようになった。何を言われても顎を上げて反論できるようになった。好きな服を人に褒められた時の弾む心を抱えて、鏡を覗くのも楽しくなって。メイクが濃いとの母の酷評もどうでも良くなった。

ファッションはその人の心の望むあり方を描くものだ。誰にだって否定する権利はない。

「君の思いは必ず実現する」、転がる石の話

稲盛和夫さんの「君の思いは必ず実現する」を拝読して、首をひねりながらキーボードを叩いている。

ひとつの会社に勤め続けることは、選択肢のひとつだ。しかし、ひとつの会社に勤め続けることと、いくつもの会社を渡り歩くことは、それぞれ選択肢のひとつであってどちらが尊いわけでもない。どちらが間違っているわけでもない。そう思うのだ。

まだ社会人経験がないので、大学の話になるのだけれど、わたしは今年2回目の大学1年生になる。便宜上仮面浪人と言っているが、実際は少し違う。わたしは去年の夏まで、初めの大学で4年間、もしかしたら6年間過ごすものだと思っていた。それなのに大学を変えようと思った理由の一つは、前期の授業を終え、後期の授業が始まって、自分のやりたいことがここではできないと痛感したからだ。他にも、少人数の学科が苦痛で大学に行けなくなったというのもある。ともかく、自分はこの場所ではやっていけないと思った。前期の単位はきちんと取り切っていたがとりたてて惜しくもなかった。

年度末、事務手続きのためにお会いした教授がかけてくださった言葉がとても印象に残っている。

「あなたが自分で未来を志向していくのが嬉しい」

親にも友人にも驚かれ呆れられ頭を抱えられた行動を、そう評してくださったのが嬉しかった。

転がる石には苔がつかない。このことわざには2通りの解釈がある。転がってひとところに止まらない人にはなにも身につかないという解釈、そしてもう1つは常に転がっていく人はいつも新しく、古びることがないという解釈である。

どちらと考えるもそれはその人自身の自由だ。わたしは、常に新しい石でありたいなと思う。

君の思いは必ず実現する

君の思いは必ず実現する

「」、今読んでいる本の話

どうにもここ数日書きたいことがない。

本一冊を読み終わるにはだいたい1時間から1時間半ぐらいかかる。今野敏ならもう少し早いし、ジョージ・オーウェルならもっと遅い。けれど基本は1時間前後。

といっても、まとまった時間が取れる時以外一冊の本を読み続けていることは少なく、基本同時並行で何冊か読んでいる。例えば今なら『一九八四年』『813』『キッチン』。一冊読み終わったら一冊を足す。そのせいで、わたしの部屋にはいつも本が積まれて片付くことがない。

目下読みたいと思っている本は寺山修司ヘミングウェイで、もうすぐ『キッチン』が片付くのでどちらか一冊足せるだろう。ニーチェの『善悪の彼岸』も通販で購入したのが届くはずなので、大学が始まる前に早いところ読んでしまいたいものだ。

「夜はおしまい」、女という性の話

「どうしてあなたたちは、自分の体を誰かの好きにさせてはいけないのか」

「世の中から一方的に押し付けられた考えではなく、自らの頭でじっくり考えたことはありますか?」

「なにより、そう決めつけなければ、誰もあなたたちを守らなくなるからです」

島本理生『夜はおしまい』

そろそろ生理が来るのか、ひどく眠くて昼過ぎまでうつらうつらしていた。生理の一週間と生理前の一週間、決まって体調を崩すので、元気な期間は1ヶ月のうち半分程度ということになる。女に生まれなければ、とたまに思う。

生物学的にも、社会的にも、女という性は厄介なことばかりだ。子どもを産めてしまうし、生理はあるし、腕力も比較的弱く、強姦される恐怖にバイト帰りはいつも怯えてしまうし、痴漢されるし、もちろん最後二つは男性が被害者になることがないわけではないけれども女性の方が可能性が高いことは事実だろう。電車の中ではいつも携帯を片手に持っておくことにしている。触られた時にインカメを使えるので。

そして悲しいのは、わたしたちはこの体を自傷のように他者に差し出してしまうことがあるということだ。高校生の頃、売春をしようかと試みた。生きているのがつらくて、自分が疎ましくて、壊れてしまいたかった。

『夜はおしまい』に共感できないならば、それは幸いである、ととある読書記録サービスで書いた。それは、あなたたちに同種の傷がないからだ。

夜 は お し ま い

夜 は お し ま い