赤飯、百五円のナプキン

初経を迎えると赤飯を炊く慣習があった、らしい。

経験したことない理由は二つ、母が昔祖母に赤飯を炊かれ酷く惨めだったらしいことと、私が初経を母に伝えることなく済ませたからだった。

この二つには根底に共通点がある。母の性に対する忌避である。
二人も子どもをもうけたとは思えないほど、彼女は性的なことを受け入れない。特に、娘が女になることは受け入れ難かったらしい。

生理がくるまで、母から施された性教育はひとつもなかった。幸いわたしは真面目に、真面目に保健体育を受ける小学生だったので、ナプキンの付け方も捨て方も教科書で覚えた。初めての生理のときには、少し家から遠いコープまで足を伸ばして、隣の百均でナプキンを買った。

ネイビーのミニスカートをひらめかせる娘に、「水商売の女みたい」だと言葉を投げつけた彼女が、女になった娘をなんとか受け入れられたのは3年ほどたってからだった。受け入れてはない、慣れた、のかもしれない。
高一のときには、処女だった娘に「なにしててもいいけど、避妊だけはしなよ」と刺々しい口調で吐き捨てた。呆れた、子どもみたいな真似をする、と、20歳になった娘は思っている。

女子校は良かったと言う話

「もしかして女子校出身?やっぱり!だと思った!」

この台詞にはいつもひっかかってしまう。女子校っぽさとは、なんだろう。

わたしは中高一貫の女子校に通っていた。恋やら愛やらを巡っておこるいざこざもスクールカーストも嫌いで、選んで女子校に行った。

中高は地獄だったけれど、それは女子校であることにはまったく関係がなかったし、女子校で過ごす、というシチュエーションに関してはとても楽しかったと胸を張って言える。性別を理由にリーダーをつとめられないなんてことはなかったし、性別による不平等なんてあるはずもなく、文化祭の時にはみんなで疲れ切った顔をしながら階下や階上へ机や椅子を運んだ。女だからできないなんてことはひとつもなかったし、わたしたちはただの人間として交流をしていた。

ある教師が、「あなたたちは、今後社会に出て、不平等に愕然とするかもしれない」と少し笑っていった。そのときのわたしは世間知らずと馬鹿にされたかのように感じ、勝手に拗ねていた。けれど、確かにそのときわたしは世間知らずだった。

大学で、これほどまでに「男」「女」が強調されるのかと言葉を失った。一女は可愛がられ二女は飲まされる。女が前に出て仕切ると「きつい」「こわい」と陰口を叩く。中高ではまったくなかった世界だった。

中高の友人がたまに言う。「わたしは高校の時の方が人間として生きられた気がする」

女子校っぽさが、「男」「女」の世界に迎合できないことであるなら、わたしはもうそのままでもいいと思っている。そもそも性別は「男」「女」だけではない。

とはいえ、「女子校っぽい」と嫌な文脈で使われると、わたしはこっそり「発情期の動物っぽい」とこころのなかで言い返すことにしている。

邂逅の階段

兄が階段の天辺に座り込んでいた。どうやら疲れ切ってしまったらしかった。

なにがそんなに疲れさせたの、ときくと、わからないという。お前の存在、なんて軽口を叩いてきたので、突き落とすよと脅した。

とりあえず肩を揉んだ。肩甲骨と肩甲骨の間が張り詰めて、まだ若い体のしなやかさを損なっていた。かわいそうに、と思った。

深呼吸をしているようだった。8秒息を吐くといいよ。5秒かけて吸って、3秒待って、また8秒吐くんだよ。8秒以外は適当に言った。吐くのに8秒、だけが持っていた知識だったので。

3度ほど深呼吸をして、よし、と兄は立ち上がった。わたしは1度その肩を叩いて自室に戻った。

受験生のとき、階段の下でぼんやりと座り込んでいたわたしの隣におもむろに兄が蹲み込んで、右腕を揉んだときのことを思い出した。

5月に読んだ本のまとめ

1. 時計じかけのオレンジ 新装版

映画は未鑑賞。ディストピア的な世界観と音楽によって厚みを増す主人公の悪行がまるで歌劇のようだった。

"善良"の原因さえよくわかっていないくせに、その反対のことがわかるわけないだろう?

善というのは、選ばれるべきものなんだ。人が、選ぶことができなくなった時、その人は人であることをやめたのだ。

2.チーズと塩と豆と

再読。ご飯についてのお話の中では「タルト・タタンの夢」と並んでお気に入り。暮らすこと、愛することと切って離せない食についての短編集。もし誰かに本を贈る機会があれば候補に入れたい。

3.かもめのジョナサン

再読。人と違うことがこわくなったときに読む。

きみたちの全身は、翼の端から端までーーそれは目に見える形を取った、君たちの思考そのものにすぎない。


今月は全然読めなかった。大学が始まったから、同時並行は苦手。

いつかは今のさきにしかないというのに

九龍ジェネリックロマンスに出会ってしまった。とんでもなく良い。

絵のセンス、街並み、表情、リアクション、小物、なにより繊細に伏線の張られるストーリー。夢中になって読んだ。単行本派なので2巻の発売が待ち遠しい。これだから漫画を読むのはやめられない。

新米喫煙者のわたしには、煙草のシーンに情緒があるのも嬉しい。煙を吐き出す角度、吸う仕草、緩む表情。

煙草の煙を吐き出すとき、胸の中のなにかも一緒に出ていくような心地がする。塊を吐き出したくて煙を含む。
煙草は体に悪い、知らない人と寝るのは危ない、ゲームにのめり込んではいけない、アルコールには中毒性がある、チョコレートは食べすぎてはいけない、スルメイカは胃に悪い。どれも全うで健全な助言だけれど、いつも見つめる先のズレに苦笑してしまう。

煙草を吸う人、アルコールに酩酊する人、知らない男に組み敷かれる人。わたしたちにはきっとそうしなければいつかがなかった。今をなんとかして凌がなければ、目の前の道はあっさりと途切れてしまうから、いつかを望んで今を乗り切ろうとして禁忌に手を伸ばす。悪魔のささやきに身を任せる。

高校生のころ、セックスの約束をして会おうとしたおとなは写真と全く違う顔をしていて、わたしは震える足でひとつしかない改札を抜けて反対側の出口から出た。何度も届く「いつ着く?」のメールが怖くて、ひとつ先の駅まで歩いて逃げた。けれどその次の日、またわたしは違う大人と約束をした。そうでないと生きていけなかった。息苦しくてしんでしまうと思った。いつでも身を投げられてしまうから、駅のホームに柵を設けて欲しかった。

とおい先の健康のために、己を律することなんでできない。未来と言われてもせいぜい5年先ぐらいまでで、その未来さえ自信がない。

ご休憩、おひとりさま、9時間

朝9時に起きてから9時間と少し、今日はなんにもできていない。

よくこんな日がある。何をしようにもどうにも体が重くて、スマホを片手にごろりと寝転がってたまに自慰をする。そういう日に限って時間の進みはとても早くて、いつのまにか日は真上をすぎて、小雨の中でタバコを一本吸った。生ゴミの日だった今日は外のゴミ箱にまだ袋が入っていなくて、吸い殻をティッシュに包んで家に入った。

多分、新しいものが苦手だ。馴染んだもの、古びたもの、そういうものに安心をする。友達に勧められたアイドルは半年後にハマるし、冬に買ったシャネルのオードパルファムは春が来て好きになった。学生の毎日は新しいものだらけだから体がすくんでしまう。

うまくやれないことに怯えている。見捨てられる不安、とかそういったもの。愛着形成に問題があったのだろうと自己診断している。

映画「ウォールフラワー」で、医者は言った。あなたがどこから来たかは変えられないけど、あなたがどこへいくかは決められる。

漫画「運命の女の子」で、彼は言った。生命に意味なんてないよ。

どこから来たかもわからずに、どこへいくのかも霧中のまま、意味のない生命を持て余している。ただ、生きていようと思えることが成長だろうか。

withコロナの方針が立ち次第ひとりたびに出たい。誰も私を知らない場所でならうまくやれるのだろうか。

はたち、煙草を吸う男

煙草を買った。アメリカン・スピリットのターコイズ

これまで、分煙、禁煙、副流煙について散々学校で学んできて、それでもなぜ手を出したのかはよくわからない。他人に害を与えたくはないので、人通りの少ない時間に庭で吸っている。
肺に煙を落とすのは苦しくて、口内に溜めてそうっと出している。鼻から吐きだすときのじんとした熱さと、ぼんやりとした煙臭さは結構好きかもしれない。

必死に何かになろうとしている。母親ではないなにかになりたいのだと思う。

父は昔煙草を吸っていた。ドライブに行く前、車の横で一服する姿を覚えている。子どものためにやめたらしい。今では付き合いで吸うこともなく、休日はご機嫌にギターを弾いている。
わたしがまだ小さい頃に単身赴任をした父のことは、父親というよりは男に見える。身内の男。兄よりも少し遠いが、他人ではない。微妙な距離感は、彼が持病を抱えた頃に少し狭まった。

父の影響だろうか、煙草を吸う男が好きだ。

祖父は昔葉巻を吸っていた。わたしが物心ついた時にはもう煙草に鞍替えしていた。祖父の部屋着に染み付いた匂いと、換気扇周りの黄ばんだ壁。よく本を読む人だった。祖父の蔵書はいまだにうっすら煙草の匂いがする。


兄は嫌煙家ではない。しかし、煙草を吸ったこともないらしい。耳に穴を開けようと思ったこともない。兄の部屋は清潔な洗剤の匂いがする。兄は、母にとてもよく似ている。ものに執着することを蔑み、最善を尽くさない人を憎む。

母は兄をいたく気に入っている。友人の母が、友人にふと言っていたという。「牧野ちゃんのお母様は、お兄さんがとても好きね」たぶんそれは半分合っていて半分間違っている。母は兄が好きで、娘のことが少し受け入れがたい。

小さい頃は兄になりたかった。中学生ぐらいから、母のようにはなりたくないと思った。

ピアスも煙草も、母の娘を抜け出すための手段なのだ。もうあなたの付属品ではないと知らしめたくて、あの人にはならないと己に誓って紫煙を燻らせる。

シャネルのガブリエルが香る部屋で、舌に残る苦味に安心している。